- 緊張して声が震えてしまう
- 鼓動が早くなって頭が真っ白になる
大勢の人を前にして自分がプレゼンするとき、こんな経験はありませんか?
ちなみに僕は典型的な「あがり症」でした。多くの人を前にしたプレゼンだと、声が震え、全身から汗が噴き出て、顔は真っ赤になります。
ほんと発表なんて仮病を使ってでも避けたいくらいでした、、
当然納得のいくプレゼンなどできたこともなく、人前で堂々と話すのがとにかく苦手でした。
今回はそんな僕に勇気をくれた名著、“嫌われる勇気“から学んだ、緊張を克服する考え方をご紹介します。
先にポイントを言うとズバリこの2つ。
- 自分の顔を気にしているのは自分だけ
- 原因論と目的論
では詳しく解説していきます。
自分の顔を気にしているのは自分だけ
人前で緊張してしまう一番の原因は、周りの人からの視線にありませんか?

失敗したらどう思われるだろう…

みんな話すのが上手だけど、自分にはそんなにうまくやれる自信がない…
と考えているうちに緊張は加速していき、発表の直前にはガチガチに。
そんな考えを改めるためには、まず「あなたの周りの人たちは敵ではない」ことを知る必要があります。
“嫌われる勇気”の言葉をお借りすると、「人生は他人との競争ではない」のです。
私たちはみんな、「無力な状態から抜け出したい」「もっと向上したいという」本能的な欲求を持っています。
赤ん坊が自らの足で立ち、言葉を覚え、自由に意思疎通ができるようになるように。人類が科学を発展させてより豊かな暮らしを手にしてきたように。
本書ではこれを「優越性の追求」と呼びます。
優越性と対をなすのが劣等感であり、理想に到達できない自分に対して、まるで劣っているように感じることを示します。
優越性の追求と劣等感それ自体は何も問題はなく、むしろ健康的な努力と成長への刺激です。
しかしここで誤解してはならないのは、優越性の追求とはよりよい自分を目指して足を一歩踏み出すことであって、他人よりも上を目指さんとする行為ではないということです。
健全な劣等感は他人との比較で生まれるのではなく、理想の自分との比較から生まれます。
他人と比較することの何が問題なのでしょう?
今まで他人と比べられてきたみなさんであれば薄々お気づきかとも思いますが、その大きな問題とは、他人と比較することは競争を生み、勝敗に縛られた世界へあなたを放り投げることです。
「A君はスポーツも勉強もなんでもできる」「B君は大企業に就職して可愛い彼女もいる」など、他人と比較していると「それに比べて自分は」という劣等感が生まれます。
逆に「C君は自分より頭が悪いから、自分の方が優れている」といった優越感も生まれるかもしれません。
他人との競争による勝敗の世界で生きていると、やがて他人は勝たなければならない相手=こてんぱんに打ち負かすべき敵へと変わっていきます。周りが敵だらけの中の緊迫した状況下で、リラックスして発表などできるはずもありません。
しかしひとたび競争の図式から解放されるとどうでしょう?
誰かに勝つ必要もなければ負ける恐怖もない。
少し考えてもみてください。他人はそれほどにもあなたを見ているものでしょうか?あなたを監視し、粗を見つけ出し、隙あれば攻撃してやろうと機会をうかがっているでしょうか?きっとそうではないはずです。
あなた自身もきっとそこまで他人に興味はありませんよね。
「自分の顔を気にしているのは自分だけ」
人前に立つ前は常にこれを思い出してください。そこは敵に囲まれた場所ではないことを改めて意識してみてください。
他人と比べてどうではなく、自分が理想としているプレゼンができるかどうか、緊張感を持つべきはその一点のみです。
原因論と目的論
多くの人は、「結果の前には原因がある」つまり「今の自分は過去の出来事によって決定される」という原因論の考え方をお持ちでしょう。
この考えこそ、いつまでも緊張を克服できない私たちの悩みの元凶です。次のような場面を想定してみてください。
A君が喫茶店で本を読んでいたとき、通りかかった店員が上着にコーヒーをこぼしてしまった。普段は温厚なA君であるが、昨日買ったばかりの上着を汚され、思わず店員を大声で怒鳴りつけてしまった。
「コーヒーで上着を汚されたことへの怒り」という原因があり、「怒鳴った」という結果が生じた。普段は温厚なA君も怒りの感情に抵抗できなかった。これが原因論の解釈です。
ごく自然な考え方のように見えますが、目的論的に言えばそれは違います。A君は、大声で怒鳴るために怒ったのです。
原因論の考えだと、人の行動は感情というものに支配されており、怒りに駆られた行動は自分では制御することができないということになります。
仮にA君がその場で刃物を持っていたら、怒りに駆られて店員を刺したでしょうか?
きっとそんなことはありませんよね。
人を刺さないという自分の制御ができている時点で、「怒りという抗えない感情に突き動かされて怒鳴りつける」という考えはおかしいはずです。
つまり感情は出し入れ可能な道具のようなもので、私たちの行動は、感情(=過去の出来事)という原因に支配されているわけではありません。
先ほど、目的論的に言えば、「A君は大声を出すために怒りという感情を作り出した」というお話をしました。もっと詳しく言えば、「自分の服を汚した気に入らない店員に対して、大声を出して威圧する」というのが目的と言えます。
目的論の観点から、「あがり症で緊張してプレゼンが苦手だった私」を例に考えてみましょう。
目的論的に言えば、「良いプレゼンをしたくない」から「あがり症」を必要としているといえます。
なぜあがり症が必要かと言うと、それがあることで私は、うまくプレゼンできない自分、失敗する自分を納得させることができるからです。
仮にあがり症が治って緊張せずにプレゼンできるようになっても、上手に話すことができなかったらどうでしょうか?
私はさらに自信を失い、ひどく落ち込むはずです。その隠れた恐怖心が、いつまでも私にあがり症を必要とさせました。
過去の数々の失敗も、あがり症があったからだと思い込んできました。
もし原因論の住人になってしまえば、「~のせいで」という過去の出来事や経験に縛られて、この先ずっと自分を変えることはできなくなります。
何かのせいにしてありのままの自分を受け入れず、いつまでも前に踏み出すことができなくなります。
目的論は一見、「過去の出来事もトラウマも、今の状況もすべては自分の行いのせいだ。あがり症もお前が勝手に作り出した意味付けだ」と非常に厳しいように見えます。
しかし目的論から学ぶべきことは、「これまで何があったとしても今後の自分には何も影響はなく、自分を変えるのは今この瞬間からいつでもできる」ということです。
原因論を捨て、今の自分を受け入れ、改善に向けて何ができるか?たとえ結果がどうであったとしも、前に踏み出す勇気をもつことが大切です。目的論は、勇気の理論です
まとめ
本記事では、”嫌われる勇気”から学んだ緊張を克服する考え方をご紹介しました。
本記事を最後まで読んでくれたあなたは、周囲の目線を気にする必要はないこと、今この瞬間から前に踏み出せば自分は変われることをよく理解できたはずです。”嫌われる勇気”の教えが、これからあなたの背中を押してくれます。
みなさんが前に向けて一歩踏み出すことに、本記事が少しでもお役に立てることを願っています。
“嫌われる勇気”とは?
最後に“嫌われる勇気”という本を簡単にご紹介します。本書を一言で説明すると、アドラー心理学を分かりやすく解説した心理学の入門書です。
自己啓発の父と呼ばれた心理学者、アルフレッド・アドラーにより提唱された心理学の体系。
心理学と聞くと身構えてしまう方もいるかもしれませんが、本書は物語形式になっており、とてもかみ砕かれた内容になっています。ただし物語とはいっても登場人物は次の2人しか出てきません。
- 悩み多き青年(=読者)
- 人は誰でも幸福になれると説く哲学者(=アドラー)
本書の内容は、読者の代弁者である青年と、アドラーの代弁者である哲学者との対話のみです。物語は青年が哲学者のもとを訪れるところから始まります。そこで青年は自分の苦悩を哲学者にこれでもかとぶつけ、2人は何日にもわたり熱い議論を繰り広げます。
物語の最後、青年が哲学者のもとを去る時には、私たちの気持ちもどこか晴れやかになっている。そんな素敵な本です。
本書は人生のあらゆる場面で役立つ考え方を教えてくれます。何か悩みを抱えている人は、この本が力になってくれるでしょう。
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